
親孝行の息子夫婦と孫
阿部志津
東京都
昭和十九年秋、戦争が激しくなったので、三歳と一歳の子供を連れて茨城県の片田舎に疎開しました。東京で生まれたわたしは農家のことは何も知りません。主人は出征し、「これからどうしたらよいのか」と思っていましたが、昭和二十年八月、終戦となりました。
タンスの中の衣類や金目のものは、みんな食物に変わってしまいました。帰る家もなく困っていましたが、実家の六畳問を借りることができました。主人も二十一年に帰ってきたので、やっと東京へ帰ることができました。
翌年、三女が生まれ、ますます生活は大変でした。二十四年五月二日、風邪がもとで二女が死亡、私は気が転倒してしまいました。虫下しや風邪薬なども飲ませて元気だったのに。二女の死が信じられない毎日でした。
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